「べるがなる」の考察

ようやく重い腰を上げ、自分のホームページを立ち上げました。

しかし、ブログの記事がありません。

そこで2年前にFacebookにて友人に公開した内容を使いまわすことにしました。

「おかあさんといっしょ」のファンの方に届きますように!


【 べるがなる 】

おかあさんといっしょのエンディングでおなじみの曲です。


“おかいつ”見始めた頃は歌詞を考えることなく、ただただスタジオ観覧に当選した子どもたちがムームー(着ぐるみの1人)のネックレスを触りながらわらわら歩いているのを、ぼーっと眺めていました。


長期休暇などスタジオ撮影分がないときは、アニメーションにおにいさん·おねえさんの映像が合成された「べるがなる」フルバージョンが流れます。

ある日それを聴いて歌詞について考えたとき、涙が止まらなくなりました。

歌詞を全部載せると最近は色々問題になると思うので、ぜひ“おかいつ”チェックと歌詞の検索をお願いしたいのですが、直接の意味はたぶん、こんな感じです。以下、かぎ括弧は歌詞の引用です。



君が元気に遊んでいるから、ぼくもつられて立ち上がって遊びたくなったよ。

そうしたら動物や机や椅子だってみんな踊るよ。

ふと胸に手を当てるとちいさな音が聞こえてくる。静かになると、ますます聞こえるのは心臓の音。君が鳴らすから僕も鳴らすんだ。

「みんなのためにべるはなる」

また明日も遊ぼうね。

「りんどん かんろん りんどんかん」



ここからはわたしの体験や調べたことを含めて書きます。

べるがなる= 鐘が鳴る これを心音とかけているのは歌詞の通りです。

そして現在進行形で いま生きている ことを表していると思います。

わたしは娘の妊娠前に流産を経験しています。

赤ちゃんの心拍の確認は妊娠初期の大事な指標です。

お医者様から心拍が確認できませんと言われたときのかなしみ。

それを乗り越え娘を妊娠し、出産直前に分娩監視装置で聴いた心音。


「むねのなかから とくとくとく」


“べる”は胎児が母親の胎内にいるときから鳴り始めている。

そして母親であるわたしもわたしにとっての「きみ」のべるの音に励まされ、今もべるを鳴らし続けることができています。


「みんなのために、べるがなる」


ヘミングウェイの小説【誰がために鐘は鳴る】に呼応しているのではないか、と教えてくれたのは主人です。

誰がために?みんなのために。

誰だけのためでもなく、皆のために鐘は鳴る。


べるがなる=鐘が鳴る という意味についてですが、教会の鐘は時報としての役割や結婚式には盛大に鳴らすイメージがあります。


「べるを ならして おいわいだ」


そして教会ではお葬式の日も悲しいトーンで鐘を鳴らすのだそうです。

死者の冥福を祈って鳴らす鐘

弔鐘 というのだそうです。


昨年祖父が亡くなりました。

もう、祖父のべるの音は聴こえません。

でも心の中で聴くことができます。


「いっかいさよなら またあおう」


さよならしたけれど、いつか会えると信じています。

つまり、べるがなる は命の誕生から死

生きることの歌でもあると、わたしは思うのです。



「きみがならして、ぼくがなる

みんなのために、べるがなる

べるを ならして おいわいだ

みんなで いっぱい、おどったら、

いっかい さよなら またあおう

りんどん かんろん りんどんかん」

管理栄養士 栗城智子 オフィシャルサイト

ご覧いただきありがとうございます。 2024年7月に公式サイトをお引越ししました。 今後はこちらをご覧いただけますと幸いです。 https://kuritomo-nutritionist.studio.site/ どうぞよろしくお願いいたします。

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